1. 2010.04.01

    到道院、富樫絵蝋燭店など鶴岡、酒田の繁盛店

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    鶴岡、酒田の繁盛店をご紹介。

    お仕事で鶴岡、酒田に来ましたので、繁盛店視察も欠かさずに。

    いつも新しい街に来ると、その街の名所・繁盛店を聞く。

    まず鶴岡では鶴岡公園、到道院、大宝堂の名所3箇所。

    【到道院】は孔子の教えをベースとした藩の学校だったようで。物凄く感動しました。

    塾や教育関係の人は凄い刺激を受けると思う。

    こんな建物やこんな形で勉強を教えてくれるところないのかな!?是非行きたいのである。

    【大宝堂】は地元の名士の紹介をベースに展示している博物館。

    鶴岡にはめちゃくちゃおもしろい人がいる。

    藤沢周平は有名だが、北村昌美や横光利一などなど。

    やはり地元の名士くらい知っておかないといけないですね。

    脈々と受け継がれるものだし、土台は地元という場合が多いし。

    繁盛店ということでは、名産の絵蝋燭の老舗である【富樫絵蝋燭店】

    蝋燭にかわいい絵が描かれている。

    こういう商店の方のお話しを聞くのが好きなので、色々と伺いました。

    芯は3種類あり、いぐさと紙と石油。

    いぐさは溶けるけど、芯が太く炎が大きい。石油は小さくなると溶け出す。紙は溶けない。などなど色々と教えていただく。

    絵もペイントもあれば1つ1つ手描きのものもある。

    創業70年程。ただ去年ご主人がなくなられたらしく、今のところ決まった跡継ぎはいない。

    というである。淋しいものである。なくさないでくださいね、と女主人にお伝えする。

    絵蝋燭という商品でもたくさんの種類がある。

    水に浮かぶ絵蝋燭や仏事用の絵蝋燭、ひな祭り用の絵蝋燭、またそれぞれに素材と絵の描き方と大きさなどに分かれてマーチャンダイジングされている。素晴らしいお店だった。

    有名なだだちゃ豆を食しながら、酒田に移りまして。

    もう時間はあまりなかったですが、本間家と旧鐙屋と山居倉庫へ。

    【本間家http://www2.ocn.ne.jp/~hommake/】は日本一の豪商として有名だったので、是非山形に来る機会があったら行きたかった。

    有名な歌【本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に】

    そこは武家屋敷と商人屋敷が同居しているおもしろい造りになっている。

    また家の中を案内してくれる人もいて、家の造りや本間家のことを教えてくれる。

    武家屋敷は天井は高いが剣が振り回せないように戸は低い。槍が届かないように縁廊下がある。

    密談が出来ないようにひさしが開放されていたり、光を取る天井窓はガラスで造られており、二次大戦の時に覆ったままになっている。

    また主人の書斎は北西にある。北西は夏暑く、冬寒いらしいが、家が繁栄するために良い方角なのだそうだ。

    書斎は子供部屋より小さく、質素倹約を常に意識するためだという。

    ただ、立派な雛人形も有り、百歳雛も飾られていた。江戸雛と京雛もあった。

    北前船で栄えたそうだが、やはりそのベースには地域と共に栄え、謙虚な姿勢が垣間見られた。

    【旧鐙屋】は昔の商人の家をそのままの形が残っている建物で、玄関を入ったら中土間になっている。

    また玄関入るとすぐに北前船が展示してあり、北前船は動くマーケット、海のデパートと呼ばれていたらしい。

    めちゃくちゃかっこいい。

    石置杉皮葺屋根という屋根に石が置いてある造りが特徴的でした。

    【山居倉庫】は12の倉庫から成り、今も9個は米蔵として使用している。

    黒色の倉庫が並ぶと中々荘厳で、厳かな気持ちにさせてくれる。

    おしんで撮影にも使われたらしい。

    その中の博物館で酒田湊屋という人力車の展示があったが、駅の前で客を待っている人力車である。

    どこかで見かけたような・・・と思っていると、昨年末に行ったインドと同じ光景であった。

    その展示は日本の1869年の頃らしいので、約140年前である。

    それにしても北前船は凄かったのだろうことが容易に想像される。

    日本三大つるし飾りである傘服も多く売られていた。

    その後【最上川】を見て、酒井港で夜ご飯。

    どの場所も10分くらいしかいれなかったので、慌ただしかったが昔の豪商の空気に触れることが出来たし、

    富樫絵蝋燭店という繁盛店も見ることが出来たし、到道院など様々な史跡に行けたので良かった。

    歴史と伝統だけはお金では買えない。

    またそれぞれのベース・土台ということにも想いが馳せる鶴岡と酒井でした。