ずっと行きたかった場所【大船渡屋台村】に行ってきました。
『村田が今一番必要とされてるのはどこやと思う?』
いつも分かり切ってるけど、その答えを言うのをためらってしまう質問をしてくる。
『それは・・・東北だと思います。』
『そやな。今どんだけ忙しくても時間を創って行くべきやな。』
2011年4月上旬。その当時の上司君(以後Fさん)との会話。この時期、Fさんとボクは新規事業の立ち上げをメインにコンサルティングをしていました。
(分かってる。分かっちゃいるけど、何が出来るか分からないし、何より時間が無い。)←心の声。
この頃、連日震災の報道がされていて、でもまだ全貌も掴めていない時でした。
『でも、僕たちが行って何が出来ますかね?』
『分からん。だから行って聞かないといけない。推測で考えたり、こちらがこうだろうと提案するのではなく、その人たちが何を望んでるか。どうしてほしいのか。それを聞かないと。』
『でも、時間が・・・』と言うと、
『お前がちゃんとお客様に伝えたら、分かってくれるはずだ。それをダメというような人とお付き合いをしているのか?』
『・・・』
たぶん静岡のあの人や福井のあの人や奈良のあの人や愛知のあの人やその他の皆さんもたぶんちゃんと伝えたら分かってくれたと思います。
ただその時は誰にも伝えることもなく。。自分の弱さや逃げてる自分を再確認させてくれました。
家も仕事も失ってしまった人たちに何かお役に立てることが出来るんじゃないか?そういう時にこそ新規事業の立ち上げの経験やノウハウを活かさないといけないんじゃないのか?と思ってはったんだと思います。
その後、Fさんは月に何度も東北に行き、色んな場所の色んな人と出逢い話を聞いていました。
東北を見ておけ、と言われていたので、たまに行ってましたが、行っても何も出来ず、その圧倒的な光景の前に途方に暮れる、という感じでした。
Fさんはその後も継続して行き続け、その活動の1つとして【大船渡屋台村】を企画し被災地の皆さんと創り上げました。
それを見てみたかった。ずいぶんと経ってしまったけど。
一ノ関からレンタカーで1時間半くらいで大船渡へ。がれきもないけど、何もない。周りはそんな感じでした。
約20くらいのプレハブの屋台が並んで、そのどれもがコの字型のカウンターになっていて席は8つくらい。そのコの真ん中の部分に店主がいて、料理を振る舞うという形。
店主とお客様、お客様とお客様の距離も近く笑顔や笑い声がぶつかり合って、その空間にいるだけで想いが伝播するような。
どのお店も窓から中の様子が見えて楽しそうにしてる。
飾りっけはないけど、そのお店の主人の顔やお客さんの顔がそのままお店の魅力を表してる。
屋台村のリーフレットにはこう書いてあります。【おいしい!楽しい!元気の街へようこそ】
ご利用手引きにはこう書いてあります。【大船渡の元気の源になりたい屋台村です。明るく遊びましょう。屋台で会ったら皆友達!仲良く楽しく遊びましょう!店主もお客様も皆で一緒に楽しい場所を作ります。オイシイ時は笑顔をください。】
元々この屋台は料理人だった人もそうでない人もいると聞きました。色んな人が1つの旗や想いの元に小さな力を出し合ってここまできたんだと思います。
Fさんのお知り合いの方が日本全国から屋台村に赴き料理の仕方や料理の素材などの工面をしてくれたしたとも聞きました。
また、屋台村の人もFさんの知り合いのところに修行しに行ったりしたとも聞きました。
屋台だから1つのところにずっといるというのではなく、こっちもあっちも色んなところに行ってみんなでみんな楽しむ。
みんなオープン。個々人の個性や人柄を出して、1つのパワーにしていって、みんなで発展していく。そういう形。
屋台村の真ん中にはステージがあって、ボクが行った時にももう唄うたいがフォークソングを奏でていました。
そこには屋台で買った料理を片手に、もう一方の手にはお酒を持って、歌を聴いたり談笑したり、みんなが集まってきます。
そのステージの横っちょには薪をくべらせ暖がとれるようになっている石釜が。おぉ・・・これがあの石釜か。。と感動しました。
普段会社では仕事をしてるんだかしてないんだか分からないFさんですが、その時は妙に真剣な顔をしてA3の紙に書いては消し書いては消ししてました。
これはもしかして伝説の当たるチラシでも書いてるのではないか!?と思って、覗き見たら・・・書いていたのは石釜。
奇跡をありがとう。チラシを書いていると思ったボクがバカでした。当時はそう思ったものです。
そんなことを思い出しながら、そこの前に立ってステージを眺めていました。
このステージにいつも酔っぱらったFさんが寝っ転がってるんだな、と。
周りを見るときゃっきゃと走り回る子供もいたり、慣れない感じのMCさんが頑張っていたり、歌を聞くよりも熱心に自分の話をしている人がいたり、ただの吞ん兵衛がいたり。なんでもありなんでしょう。
なんかよく分からないけど、なんか楽しい。みんな元気。そんな感じがして良いなぁ、と思いました。
屋台に入っても店主は1人とか2人なのでお客さんが接客とかお店の良さを伝える係り。
ビール注いだり、席の準備したり、ここの何々がおいしいとすすめてくれたり。。
良いお店、良い場所(コミュニティ)には、良いお客様(ヒト)が集まるものです。屋台村はそうなっている。
この屋台村があるからココロ救われた人がどれだけいるのかは1日行っただけでは推し量れるものではないですし、この良さも1日行っただけではその深くまで知ることは出来ないのかもしれません。
何も無い中から本気の人たちが集まり、その想いと行動があって、こういうステキな場が生まれた。
たぶん多くの人に楽しさや元気を届けてきたんじゃないかな、と感じました。
こんなにココロ優しい地域活性化・マーケティング・新規事業ってあるんだなぁ、と屋台村に行って改めて思いました。
屋台村に行って、ブログを書こうと思ってからFさんのブログを読み返してみました。
もしご興味があれば、屋台村が出来る経緯も断片的に書かれていますのでどうぞ。
オープンした時の記事。『大船渡屋台村開店御礼』http://ohnaruhodo.hamazo.tv/e4726748.html
屋台村にどうやって集客するのか。『ブログで人柄・店柄を伝える』http://ohnaruhodo.hamazo.tv/e4726588.html
面白い街にするには?個性を引き出し集団化すること。『開店半年いまのところ順調です。』http://ohnaruhodo.hamazo.tv/e4726651.html
機能的なだけじゃ人は集まらない、楽しくしないとね。『石釜お洒落化作業完了!』http://ohnaruhodo.hamazo.tv/e4726688.html
「何ができるかではなく、何をしてほしいと彼の地の人たちが望んでいるのか」『大船渡屋台村は、次のステージへ』http://ohnaruhodo.hamazo.tv/e4726692.html
どんな想いで取り組んできたのか。『面白いことが出来そうです!』http://ohnaruhodo.hamazo.tv/e4726713.html
まぁ、こういうブログを書いたり、Fさんのことを紹介すると『村田は全然分かっていない』『分かっていないのにこういうことを書くな』『ほんとダメ』と愛想無く言われるんだろうけど(笑)
1%も屋台村やFさんの魅力についてお伝えすることは出来てないと思いますが、1人でも屋台村に興味を持ってもらえた人がいたらそれでいいかと。
最後に。
『阪神のときはなにもしなかった。』http://ohnaruhodo.hamazo.tv/e4726584.html
ボクは2年前28歳。
これからは迷わず向かえるようになりたいと思います。